7W1D小説の理解を数年後にする体験
今日もがっつり昼寝。
しかし妊娠前から昼寝しまくっていたので眠気づわりなのかいつも通りなのか、判断がつかない。
たまひよ全員サービスのちゃっちいエコー写真アルバムが届いた。
せっかくなのでちゃんと整理しよう・・・そのうちやる。
コロナの影響で、すっかり映画とかライブが贅沢になっちゃったなぁ・・・と思う。
人と普通に会えるって目茶苦茶恵まれていたんだなぁ・・・などと考えていたら、
急に全身がビリビリーーーッってなって唐突な理解がやってきた。
2年ほど前に読んだ森博嗣さんの代表作
『すべてがFになる』
これにこんな表記がある。シリーズ重要人物、天才の四季博士の台詞。
ちょっとだけ引用。
(仮想現実の技術は、どんな役に立つのでしょう?という質問に対し)
”仮想現実は、いずれただの現実になります。ー中略ー現実が、人間に何の役に立っているかを考えれば、それが今の質問の答えになりますね。”(p19)
(物質的なアクセスはなくなりますか?という質問に対し)
”宝石のように贅沢品になるでしょう。他人と実際に握手をすることでさえ、特別なことになる。人と人が触れ合うような機会は、贅沢品です。-中略ー地球環境を守りたいのなら、人は移動すべきではありません。私のように部屋に閉じ籠るべきですね。”(p21)
当時私は、人と会うなんて当たり前すぎて、そしてVRは物珍しくて(わざわざ金を払って楽しむアトラクションまであるほどだし)
「いやいや余裕で仮想現実のほうが贅沢では????????」
と思って、この台詞をいまいちイメージできていなかったのだ。
それがいまコロナ禍で、本当にリアルがぜいたく品になって、インターネットを挟むことが逆にちょっとラグになる現実を多数目の当たりにして、やっと四季博士が言ってた内容を理解したのだ・・・。
分かってみれば凄く簡単なことだ・・・。
いやしかしこの小説世の中に出たの1998年ですよ・・・。
まだまだVRおろかインターネットですら個人の身近じゃなかった頃の話・・・。
森博嗣さんは予知能力者なのか?
というか、この『すべてがFになる』からはじまる全10作のシリーズは全編通して『仮想現実はただの現実になり、物質的アクセスは贅沢品になる』がテーマのような気がする。
10作目の『有限と微小のパン』なんて、もう、本当に、ストーリー全部を使ってこのことを言っている・・・。
こんなシリーズ開始数ページのキモを理解していなかった私って一体・・・。
また読み返したら、全然違う話に感じそう。10冊とも・・・。
***
こういう、『時を超えて理解できる』という経験、とても面白い。
理解できなかった恋愛の歌を、近い体験をしてからやっと響いてきたり。
いつか先生に言われた言葉を、卒業して随分経って大人になってから理解したり。
特に小説でもたらされるこの体験は格別。
森博嗣さんがエッセイや小説の中で『話を抽象化する力』についてたまに語っているんだけど、コレなんだと思う。
お話しを聞いて、頭の中で要素を抽出して、自分に落とし込むこと。
私はこれを逆に『具体化』だと思っていたんだけど、これこそが『抽象化』なんだな。うん。
いつかまた『ビリビリビリーーッ』って時を超えて感じられることも楽しみに、今日も本を読んで音楽を聴いて沢山の創作物、人に触れて生きるのだ!
な、あかご!(全然妊婦日記ぽくない内容だったので唐突に付け足し)